1 怒り
(1) 冒頭
私は無気力気質です。
しかし、心を弾ませたいです。
心を弾ませるには、感情を焚き付けることです。
感情を焚き付ける一番簡単は方法は「怒り」です。
最近のベストセラ−を対象にして
「怒り」を湧き上がらせ活力を得ます。
「怒り」の対象は「人新世の資本論」
(著者は斎藤幸平さん)です。
(2)題名への怒り
本書の題名は「人新世の資本論」です。
「人新世(ヒトシンセイ)」とは、
地質学上における現代社会に対する時代区分の名称です。
資本主義による過剰な経済活動が地球への負荷を起こし、
これらの活動は地球の痕跡となりました。
これら痕跡は資本主義以前の地質とは
異なる特徴が生じました。
このような資本主義による地球への際立った痕跡が
あるために、
現代のこの期間を地質学上の視点から
「人新世(ヒトシンセイ)」と名称します。
上述のように、本書の題名は「人新世の資本論」です。
題名に「人新世」と地質学上の名称を使用しています。
ところで、
地質学は、地上の温暖を基準にして、
地球が「氷期」「間氷期」をくり返してきたことを
明らかにしています。
今問題になっている「地球の温暖化」は地質学において、
「地球がもともと持っている寒暖のサイクルにすぎない」
という考え方も有力です。
(参照文献:「人類と気候の10万年史」
(中川毅:講談社出版)
この考え方においても「二酸化炭素は温室効果ガスであり、
資本主義が温室効果ガスを異常に放出している」
と考えます)
「人新世の資本論」とあるように
本書は地質学の名称を使用しているので、
問題としている気候変動についても、
地質学の視点から分析するのが適切です。
しかしながらこの「人新世の資本論」において
この気候変動に対する地質学上の分析は何もありません。
(3)資本主義へのアンフェアな批判
ア 大量生産の出版
大量生産をする出版物が大量に陳列される本屋で
私はこの「人新世の資本論」と出会いました。
大量生産は経済価値を効率的に集積するための資本主義的な生産方式です。
しかし「人新世の資本論」の作者である斎藤幸平さんは
「人新世の資本論」において、資本主義を批判しています。
この本「人新世の資本論」は資本主義を批判しながら
資本主義的な生産方式によりこの本を出版・製造しています
イ 訴求力のある販売戦略
この「人新世の資本論」の推薦者は「坂本龍一」です。
「坂本龍一」が推薦しているので、私は実際にこの本を読みました
この本の販売戦略として、
訴求力のつよい「坂本龍一」のコメントを利用しています。
このような販売戦略により、この本には
「物の本来の使用価値」とは違う、信用という「価値」が付着しました。
斎藤幸平さんがこのような販売戦略をする一方で
「人新世の資本論」において
「商品としての価値」について、強く否定してました。
その理由は、「商品としての価値」は
商品本来の価値である「使用価値」を上回り、
本当に必要な人に商品が届かない
などの弊害を 説明しています。
こうして、資本主義における「商品としての価値」に厳しく否定します。
販売戦略をふくめた 「商品としての価値」を
否定しておきながら、
自分の出版物の販売において、
否定している「販売戦略」をおこない
「人新世の資本論」の売り上げを得ています。
ウ まとめ
このように、
この著作物の販売と言う一点のみをもってしても
資本主義のシステム利用しながらも、
この著作は資本主義を批判をしています。
(4) コミュニティが生産をする
ア 内容
資本主義はその性質上、資本の膨張が継続します。
資本の膨張が継続するために、その結果、
いつかかならず資本の膨張が
できないほどに物理的な限界がおききす。
資本主義は資本の膨張の過程において、
大量の二酸化炭素の排出をします。
実際に現在、地球温暖化という異常状況です。
このような資本主義のシステムを放棄します。
とはいえ、資本主義のシステムを放棄しても
人が生活をするうえでの物資の生産・供給は必要です
そこで 「人新世の資本論」において、
人の生活に不可欠な物資の生産においては、
「コミュニティー」がおこなうと説明します。
「コミュティー」はその地域の住民が構成員
となるのだと思います。
そうすると、自分の意思とは無関係に
その「コミュニティー」に組み込まれるのだと思います。
イ 逃げる自由がない
わたしは3年間介護職をしていました。
介護の仕事はいわゆる「3K」と言われています
それでもわたしは介護の仕事そのもの
(排泄、食事、入浴)について
まったく不満はありませんでした。
わたしが いやでしかたなかったのは
介護職員からうけるパワーハラスメントでした。
その職場ではたくさんのパワハラがありました。
とはいえ、
現在の生産システムは資本主義なので、
わたしはこの会社を退職することができました。
しかし、本書のように
「コミュニティー」による生産手段が経済システムとなれば
住民にはそこから逃れる自由はあるのでしょうか❓
また私は小学生5年のとき、
「はだしのゲン」という戦争アニメを見ました。
このアニメにおいて、主人公の家族は
近所から「非国民」と苛烈に糾弾される様が強烈でした。
わたしはこの戦争アニメにて、
「戦争の描写」よりも「同調圧力」の方が怖かったです。
コミュニティーが物を生産するという体制になれば、
コミュティー内におけるこのような同調圧力が生じます。
その上で、こコミュティーから逃げる自由がなければ、
同調圧力から逃走したい人はどうなるのでしょう
2 危機回避への啓発
斎藤幸平さんがいうように
「現在の地球の状態は異常だ」と思います。
このような危機時こそ
従来の価値感にとらわれない自由な発想により
直面している危機から打開する。
「人新世の資本論はその打開策を提案している」
のだと この本を読み進めるうちに
斎藤公平さんの本意をこのように理解しました。
私の怒りは
斎藤幸平さんの大きな主張に向けられたれ物ではなく、
主張を基礎付ける小事に向けられた物ばかりです。
私はようやく斎藤幸平さんの
現代の地球人が向きあうべき危機への啓発を
受け取ることができました。
3 個人的な持続可能なシステム
(1)冒頭
斎藤幸平さんの「人新世の資本論」の読書により
地球危機への啓発を受けることができました。
また、怒りを焚き付けたことで私は活力を得ました。
そこで、私は勝手に「持続可能なシステム」を提案します
(2)資本の段階的減少
ア 確認
「資本主義は変えられない」と思います。
資本主義は他の経済システムより悪くないからです。
資本主義において、経済活動は金銭によって評価されます。
金銭の評価は明確であり公平です。
ですから、「金銭を媒介とする資本主義は
他の経済システムより優れている」
と考えるほかありません。
イ デメリット
資本主義には資本の成長を継続する作用があります
そして、資本主義において、
投じた資本以上のリターンが必要です。
投下資本がリターンを下回れば、投下資本の損失です。
ですから資本主義において、
投下資本に対し、投下資本を上回るリターンが不可欠です。
とはいえ、この設計だからこそ、
資本主義は価値を膨張させることになります
資本主義における「価値増大を継続する」という設計では、
いつか物理的な限界に当たります。
またこの価値増大の過程において
「二酸化炭素炭素の大量排出による地球の温暖化」という
地球の危機を招きました
ウ 提案
(ア)提案内容
「お金の保有を一定期間継すると、
その価値が自動的に半減する」
という設定にするのはどうでしょう。
お金を保有しない利用とは、
お金を相手に譲渡する、
貸し付けるなどのお金の授受行為です
この場合、お金を使用したならば、その価値は継続します。
一方で、
「お金を一定期間継続する価値が半減する」
という設定から
価値の半減化を回避する目的のお金の循環は
もちろんその価値は半減します。
お金をすべてデジタルにすれば、
これらの設計は技術的に可能です。
(イ) デメリットの解消
このような資本の減少の設計により
資本の利用について、インセンティブが変わります
「リターンがあるから投資」
というインセンティブではなく
貯蓄を継続するとその資本が減損するので、
貯蓄にともなう資本の減損を回避するために
「投下資本を上回るリターンがなくても投資する」
という資本投下がおきます。
現在の資本主義経済は借入資金にかかる利率を
うわまる収益をあげることが
会社経営上の基本的な行動指針です。
しかし、 投下資本を上回るリターンを
期待しない資本の投下
という設計にすれば、
借入利率をうわまわる収益をあげる
という会社の収益活動から自由になります。
すわなち、会社において、
投下資本をうけた以上の収益をあげることが
その宿命ではなくなります。
そうなると、個々の会社は継続的な経済成長を
果たす必要はなくなります。
個々の会社の経済活動が社会全体の経済活動です。
この設計により
資本主義でありながら、継続する成長の義務はなくなり、
資本の膨張により弊害は起きません。
(3)ベーシックインカム
ア 財源
(ア)内容
ベーシックインカムを導入します。
ベーシックインカムの財源は
行政から既存の助成金、補助金が財源になります。
(イ)理由
会社への補助金、助成金はある程度の必要性はあると
思います。
とはいえ、
私が行政書士という仕事の関係から
助成金、補助金の現場において、
感じることがあります。
助成金、補助金の現場において
行政が考える助成金の目的を達成するために
助成金が交付されている
というよりは、
助成金の受領自体が目的になり
その事業を助成対象の事業に変容させてる
ような印象があります。
またベーシックインカムは
全ての人に対する生活保障です。
ベーシックインカムの導入以前は、
ほぼすべての人は会社に勤め、
給料をもらいながら生活します。
この前提が雇用政策に大きな負担になっていました。
すなわち、就労者が勤める会社が消滅すれば、
その就労者は生活ができなくなります。
そのため、就労者の生活上の必要の点から、
弱小企業の延命措置の点から行政は補助金、
助成金の行政をします。
しかしながら、ベーシックインカムの導入により
全ての人への生活保証は
このベーシックインカム以外の措置は
不要になります。
そうすると、就労者が勤める企業の救済措置として、
企業への助成金、補助金交付は不要になります。
イ メリット
(ア) 雇用政策が不要
「就労希望者の数だけ、雇用があるのか」という
素朴な違和感があります
私は現在個人事業をしています。
ほぼ1人で
受注した仕事をこなしています
ただ、
一昔前(コピー機がなかった時代、
パソコンがなかった時代、
携帯電話がなかった時代、
インターネットがなかった時代、snsがなかった時代、
データをクラウドにあげることができなかった時代、)
にはいまのこの仕事量を
1人でこなすことは絶対にできません。
このような目覚ましい技術進化により
1人が提供できる仕事量は
圧倒的に増えています
このように労働者の仕事量が圧倒的に飛躍するならば、
その分、 社会における就労者の人数は
減少するように思えます。
もし社会で働く人数が減少していないならば、
社会全体の需要がふえたため、
供給の担い手である企業がたくさんの人を
採用することにより
増大した需要に対応している
ということなら、わかります。
(なお、経済成長率の推移をグラフに
しているホームページが
あったのでそのページのリンクを貼ります。
http://honkawa2.sakura.ne.jp/4400.html
また労働人口の推移をしめしたグラフがありました。
ホームページのあるリンクを貼り付けます。
https://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/nen/ft/pdf/index1.pdf
上記ホームページにおいて、
経済成長率は増加の傾向があるものの、
私が実感する技術革新による
仕事量の爆あがりに対応する
成長率ではありません。
すなわち、
これらのホームページのグラフから
技術革新に即した経済成長はない一方で
技術革新に即した就労者の減少はありません。)
とはいえ、個々の人は就労して給料を得る必要があります。
またその給料を原資にした生活費の購入などにより
お金の循環が起きます。
こうして、
「雇用政策」は
きわめて重大かつ繊細なテーマになります。
一方で、 ベーシックインカムを導入すれば、
そもそもベーシックインカムは
全ての人間に対する一律給付なので、
受領した給付金により生活苦がなくなります。
そうなると、就労により給料をもらって
生活をする必要性がうすまります。
こうして、行政にとって、
就労により給料が得られない人への救済が
不要になります。
それと同時に、
ベーシックインカムの導入により、
行政は雇用政策の対応が不要になります。
(イ) 無駄がなくなる
ほとんどの人は働かなくては
生活ができないという人です
ベーシックインカム導入により、
そういう人にたいして「働くかなくもても良い選択肢」を
提供できます。
そうすると、
「働かなくはいけない」という生活者の弱みにつけこみ
職員を酷使するブラック企業がなくなります。
「お金のためにはたらく」という動機が薄まるところ、
すべての仕事の給料は低賃金ではなくなります
ウ 他にも
個人的にも、
「社会がベーシックインカムを導入したら、」
と考えると
すごくワクワクします。
