憲法改正草案

5月3日安倍首相

 

201753日、安倍首相が憲法改正の明言をしました。

憲法改正

 

憲法改正は、憲法改正案が国会で発議され、次に国民の過半数の賛成がえられると、その改正案は既存の憲法に組み込まれます。

 

1人1人へのメッセージ

 

この憲法改正の手続きをクリアするハードルはとても高いです。国民の過半数の賛成を得る前提状況として、国民の憲法に対する関心を高める必要があります。先日の安倍首相の憲法改正の明言は、国民が憲法に関心をもってもらうためのメッセージです。つまり、安倍首相の憲法改正明言は国民一人一人に対するメッセージです。

 

憲法改正草案の提案

 

そこで、メッセージを受けた1人として、私はこの場を借りて、憲法改正の提案をします。提案する憲法改正の草案は、簡単に言うと「三権分立のバージョンアップ」です。

 

三権分立

 

まず、三権分立について、簡単に説明します。

 

国家は、国民・領土を統治する権限があります。一方で、国の主権者(一番偉い人)は国民です。ですから、国は国民を統治する権限があるのですが、国民の権利・利益を保護するため、その統治権を行使します。ですが、統治権という巨大な権力を一つの機関だけに独占させると、その権力を濫用し、国民の権利・利益を侵害するおそれが生じます。

 

そこで、国民の権利・利益が侵害されないように、統治権を分散させました。その結果、行政を担当するのが内閣、法律を制定するのが国会、裁判を担当するのが裁判所、となりました。さらに、それら三つの機関は相互にけん制しあうことによって、チェックバランスを保ち、権力が分立されたことで、より、国民の権利・利益が保護される制度設計になっています。

 

 

 

統治モデルは進化中

 

この三権分立は、主権を国民とする民主国家において、最善の統治モデルです。

 

今までは、です。これからもそうなるのか、というと、最善ではないはずです。

 

時代は流動的に変わり、時代の流れとともに国民の生活様式が変容します。時代の流れを受ける国民は主権者です。一方で、憲法は、国家権力から国民を守るものです。そうすると、主権者の権利・利益を保護する、三権分立制度も時代の変化に対応する必要があります。そのため、三権分立制度も時代の変化に対応させため、バージョンアップが必要です。

 

なにも、私の提案が最善だと言っているわけではありません。ただ、今の三権分立モデルは統治モデルの完成形ではなく、完成形の進化過程にあるのは間違いありません。

 

 

 

私の提案

 

私が提案する改正草案は、「三権分立のバージョンアップ」と先述しました。もうすこしだけ具体的に言い直すと「裁判所が生存権の保障を担当する」というものです。

 

 

 

生存権とは

 

まず、生存権をざっくり説明します。25条1項は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と規定しています。この規定が、いわゆる生存権です。ただ、251項の規定内容は「健康」「文化的」「最低限度」という、抽象度のたかい言葉で生存権を説明しています。そのため、仮に自分の生存権が侵害され、裁判所に訴えを提起しても、そもそもの生存権というものが抽象的であるために、生存権の侵害を主張できないことになっています。なぜなら、裁判所の事案解決の手法は、侵害された権利を法律の適用をもって救済するもので、侵害された権利の内容に具体性がないと、そもそも法律の適用ができないからです。

 

 

 

生存権が普遍的に保障されれば

 

繰り返しになりますが、この生存権だけでは、内容が不明確です。そのため、生存権だけを根拠にする救済はみとめられません。もっとも、生存権を具体化する法律がある時に、生存権の内容は具体化されます。そこで、その法律が規定する範囲で生存権を憲法上の保障とすることになっています。国民の生存権を保障する法律は、山のようにあります。雇用保険法・労働者災害補償保険法・健康保険法・国民健康保険法・国民年金法・厚生年金法・生活保護法・児童福祉法・介護保険法などなどです。このように、生存権を具体化する法の制度が充実しているならば、生存権はもはや抽象的な権利であるはずがなく、極めて明確で具体的な憲法上の権利となります。さらに、その保障される範囲は広範です。そうすると、一人一人の国民の生活は、憲法の生存権によって具体的に保障されているところ、将来についても、年金の支給額が減少するなど、貧窮・困窮の生活苦に苦しむことがないように、制度設計がされています。

 

 

 

 

生存権への不信

 

ですが、大半の人は、老後の経済的な不安を勘定に入れながら、現在の人生設計をしています。その人生設計は、既存の生存権の法整備に対する不信があるからです。そして、法整備をするのは国会で、その整備された法律を運用するのが内閣です。既存の生存権の法整備に対する不信とは、換言すると、国会と内閣に対する不信です。内閣と国会は、国民の選挙によって、選出される、という民主的プロセスを経ることになります。そのため、次の選挙には、国民の総意は以前と変わり、生存権を実現する法律を改正または廃止することもあり得ます。

 

つまり、民主的プロセスを経る内閣・国会に生存権の保障を担当させている限り、国民は生存権が保障されているという実感がわかず、さらに、老後への不安が現役世代の時にも、付きまとう不安になっているのではないでしょうか。

 

 

 

裁判所が生存権の保障を担当

 

一方で、そもそも裁判所の究極的な役割は「弱者の救済です」。生存権を実現する目的も「弱者の救済」です。また、裁判所は、選挙のような民主的手続きを経ることはありません。そのため、その時代の国民の総意が生存権の実現方法に反映されることはありません。ですから、「裁判所が生存権の保障を担当する」とすれば、その時の総意によって、生存権の保障内容が変わるものではなく、生存権は普遍的に保障されます。

 

 

 

最後に

 

今回のブログのテーマは、現行の三権分立の発展です。現行の三権分立は絶対的に変更不可なものではありません。統治モデルはあくまで国民主権に奉仕する国家機関のあり方のモデルです。そのため、現行の統治モデルより、国民主権に奉仕する他の統治モデルの構築が可能ならば、憲法改正によりその統治モデルを採用すべきことを検討することになります。今回の記事は生存権という権利が頻出しますが、生存権は複雑な性質をしているので、今回のテーマとの関係でその詳細な説明は割愛しました。また、同様に憲法とその下位法となる法律との関係についても、割愛しました。ご了承ください。もちろん、割愛した内容について、お問い合わせいただければ、喜んで個別に回答いたします。お待ちしています。

 

なお、今回のブログは憲法記念日を機縁に、発信力のない当法務事務所が憲法の統治モデルを再考し着想したものを記述したにすぎません。そのため当事務所が日本国の統治モデルを改善しようとする政治活動を呼び掛けかけるものでは一切ありません。